子どものころあんまり意味がわからなかったけど、大人になってみるとわかる親の謎行動ってありますよね?
なぜTVの中の会話に入っていこうと試みるのか
なぜ外出先でまずトイレの場所を確認するのか
なぜ外食すると「こんなん家でも作れるわ」と息巻くのか
なぜ寝る前に全ての電気が消えているかチェックして回るのか
なぜアイドルグループのメンバーの半分が同じ顔に見えるのか
なぜエアコンのスイッチを入れた後5秒ほどエアコンを見つめるのか
なぜリスのドングリばりに輪ゴムとクリップを貯めこむのか
まぁ最後らへんのは未だにわかりかねますが、大人になっていくにつれ、生活環境が変わっていくにつれ視点が変わっていくことは当然にあると思います。
その1つが僕にとって「ワンピース」なんですよね。
「漫画やアニメの話をしているつもりが、気づけば人生の価値観の話になっている」、
という体験をしたことがある人は少なくないと思うんですが、僕にとってワンピースという作品はまさにそういう存在で、冒険譚として読んでいたはずなのに、いつの間にか人間の尊厳や自由、権力と支配、共存と排除といったテーマについて考えさせられている自分に気づきます。
最初は仲間集めや能力バトルに胸を躍らせ、年を重ねてくると登場人物たちの背負う歴史や立場の違いに目が向き、さらにこの物語が描いているのは「誰が正しいか」ではなく「どう共に生きるか」という問いなのではないかと思うようになりました。
そしてこの視点に立ったとき、ワンピースという物語は、まさに地球市民の倫理観を体現した作品なのだと感じまず。
※地球市民
国境、人種、文化、宗教の壁を越え、地球規模の課題(環境問題、貧困、紛争など)を「自分ごと」として捉え、持続可能な社会の実現に向けて行動する意識を持った人々のことです。国籍に縛られず、世界全体の一員としての視点を持ち、相互理解と平和を目指す姿勢を指します。

ワンピースの世界には海軍という正義があり、革命軍という正義があり、海賊にもそれぞれの信念があり、立場が違えば見えている正義も違うという構造が徹底して描かれています。
物語を通して繰り返し示されるのは、絶対的な正義の存在ではなく、権力構造の中で正義が運用されるときに生まれる歪みであり、その歪みが個人の人生をどう押しつぶしていくのかという現実。
これは現代社会にも通じる視点で、環境問題ひとつ取っても、経済成長を優先する立場と生態系保全を優先する立場が衝突し、どちらにも正義があるように見える中で、僕たちは単純な二項対立では答えに辿り着けないことを知っています。
ワンピースは、正義の勝敗ではなく、正義の衝突の中で人間がどう振る舞うかを問い続けているように思うんですよね。
魚人族や巨人族、ミンク族、バッカニア族やルナーリア族など、ワンピースの世界には多様な種族が登場しますが、そこには共通して「差別の歴史」と「共存への葛藤」が描かれています。

恐れや偏見が暴力を生み、その暴力がさらに分断を深めていく構造は、現実の世界と驚くほど似てますが、この物語が優れているのは差別を糾弾するだけで終わらず、「理解と関係性の回復というプロセス」を丁寧に描いているところにあると思います。
エシカルという言葉は、ともすれば道徳の話に聞こえてしまうけど、本質的には「異なる存在とどう共に生きるか」という問いであり、その問いに対する実践の積み重ねなんですよね。
ワンピースは、共存とは理想ではなく、努力の連続であることを常に示しています。
ルフィは
「支配なんかしねぇよ。この海で一番自由な奴が海賊王だ!!」
ってセリフでもわかるように、自由を求める海賊。
でもその自由は「自分が好き勝手に生きること」ではなく、「誰かの自由を奪わないこと」と不可分のものとして描かれています。

仲間を守ること、弱い立場の人に手を差し伸べること、支配に抗うこと、そうした行動の積み重ねの中で、自由という言葉は個人の欲望ではなく関係性の中で成立する価値へと変わっていきます。
これは環境倫理にも通じる視点で、「便利さを追求する自由が誰かの生活を損なうなら、その自由は本当に自由と言えるのか?」という問いにつながる。
『自由』とは制限がないことではなく、互いの尊厳を守るための自制を含んだ概念なのかもしれないですね。
ワンピースの世界では、歴史の中で消された存在や語られない犠牲が物語の奥行きを形づくっています。
それは、僕たちの暮らしが見えない誰かの労働や資源の消費、環境負荷の上に成り立っている現実とも重なって見えませんか?
普段の生活の中では見えないものは存在しないかのように扱われるけど、見えないからこそ想像力を働かせる必要があるという姿勢は、エシカルな視点の核心でもあると思うんですよね。
見えないものに想像力を向けること。
それは善人になるためではなく、現実をより正確に理解するための姿勢だと。

ワンピースが世界中で読まれている理由は、単なる冒険の面白さだけではなく、文化や国境を超えて共有できる価値観が物語の根底に流れているからだと思います。
自由、尊厳、多様性、共存、歴史へのまなざし、権力への懐疑、弱者への共感といった要素は、どの国の読者にとっても自分の現実と結びつけて考えることのできる普遍的なテーマであり、だからこそこの物語は国境を越えて読まれ続けているんでしょうね。
それはつまり、人類が共有しうる倫理観の物語でもあるということ。
人は理念だけで価値観を変えることは難しいけど、物語を通してなら自然に価値観が更新されていく生き物(マンガ最高)

誰かの痛みを追体験し、立場の違いを疑似体験し、異なる世界の視点に触れることで、世界の見え方は少しずつ変わっていく。
エシカルな行動は義務感だけでは続かない。
でも世界の見え方が変われば選択は自然と変わっていくはずです。
十分に知ったうえでそれを無視できるほど、人間は腐っちゃいないですからね。
無知ではなく未知。
まだ知らないことが多いだけの状態。
希望しかない。
そう思うとワンピースが教えてくれるのは正しさではなく、想像力の使い方なのだと思うんですよね。
昔は海賊王を目指す物語として読んでいた作品が、おっさんになってからは「誰も取り残さずに生きるとはどういうことか」を問いかける物語に見えてきました。
それは物語が変わったのではなく、読み手の視点が変わったから。
そしてその視点の変化こそが、僕たちが社会の中で少しずつ身につけていくエシカルマインドなのかもしれない。
世界を支配するのではなく、世界と共に生きる。
誰かに勝つのではなく、共に進む。
見えないものを想像し、弱い立場に目を向ける。
そんな価値観が、娯楽の形をした物語の中で静かに育まれている。
ワンピースは海賊の物語でありながら、同時に地球市民の物語でもあるのだと思う。
奇しくも尾田先生は僕の1コ上のほぼ同年代。
もう30年近くその価値観に触れ続け、おこがましくも共に成長させていただいていると勝手に感じています。

商品・サービスがコモデティ化してきたことで、ビジネスには今まで以上に「社会的視点」が必要になってきたんだと感じています。
ハウスクリーニング業界をエシカルがノーマル(普通)な業界に改革しようとしているエシカルノーマル。
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