冒頭いつもしょーもない話から入って、ちょっと固い本題にうまく繋げていくのが僕の常套手段なんですが(自分で言う)、今回もそのパターンで行きたいなと思っています(言わなくていい)
望ましくない事象なんだけど、思わぬメリットが生じることってありますよね?
例えばめちゃくちゃお腹を壊して、しんどいけど体重が減るとか、
花粉症で目をこすり過ぎて二重になるとか。
今、
「そんなん一時的やんけ」
って呟きましたよね?
聞こえてましたよ。
じゃあ、
生活習慣病になって栄養素と薬に詳しくなったとか、
ハゲてきて帽子に詳しくなったとかは?
一生役立ちますよ?
(自伝過ぎる)
これ実は心理学で
「シルバーライニング(silver lining)」
って言われる現象で、「悪い出来事の中にある思わぬプラス」を見つける人は、ストレス耐性が高いって研究もあったりなかったりするんですよね(あります)
でもこれって要は「楽観的」なのか、「ポジティブ」なのか。
説明できる人いますか?

世の中にはよく「ポジティブ思考でいこう」みたいな言葉があるけど、あの言葉って実はかなり雑に使われていて、よくよく分解してみると全然違う種類のものがひとつの言葉に押し込められていると思ってます。
その中で一番よく混ざるのが「楽観的」と「ポジティブ」。
この2つ、似ているようで、実はかなり違う。
まず楽観的というのは、ほぼ性格の話。
「まあなんとかなるやろ」と思えるタイプで、根拠がなくても大丈夫と思える人。
雨が降っても「どうせすぐ晴れるやろ」とか言える人。
歯が抜けても「チャーミーグリーンやろ(不明)」とか言える人。
こういう人はストレスを感じにくいし、人生はわりと軽やかに進む。
その代わりリスクを見落としたり、問題を軽く見てしまうこともあるであろうな(語尾ミス)
これはトレーニングで身につけるというより、もともとの思考回路の傾向に近い。
一方で、ポジティブはちょっと違う。
ポジティブというのは、現実をちゃんと受け止めた上で、意味づけを作り直す力のこと。
例えば歯が抜けた時、
まず普通に「最悪や」と落ち込む。
でもそのあとで、
「まあでも食べにくいからダイエットになるかも」
「やっぱり今後はちゃんと歯磨いて歯医者さん行かなな」
と、意味と行動を組み立てていく。
楽観的な人は最初から「歯なくても大丈夫やろ」で終わる(それはアホ過ぎる)
ポジティブな人は一回ちゃんと落ち込む。
でもそのあと、立ち上がり方を知っている。
つまり、
楽観的は転んでも「まあ平気やろ」と思える性格。
ポジティブは「転んだ時の立ち上がり方を知っている」技術。
この違いだと思う。
実際、心理学の研究でも、成功している人に多いのは単なる楽観主義ではなくて「現実的ポジティブ」と呼ばれるタイプらしい。
現実はちゃんと見る。
問題もちゃんと認識する。
でも「自分なら対処できる」と考える。
根拠なき希望でもなく、ただの精神論でもなく、戦略として機能するポジティブ。
強そう。

ちなみに僕はというと全く楽観的ではなくて、
悲観→一次感情が一瞬で二次感情に移行→だから短気→落ち着いたら無理やりポジティブ
という感じ。
腹立つのも人に対してというより、物に対して怒るタイプで、
テレビのくせに映らない
蓋のくせに開かない
すべり台のくせにすべれない
とか、そういう「そいつの存在意義を果たしてないもの」にめちゃくちゃ腹が立つんですよね。
そういう小さいことにも腹立つし、政治にも腹が立つし、資本主義過ぎる企業のやり方にも腹が立つし、それが正解になりがちな社会の構造にも腹が立つし、まあ基本ずっと何かに怒っています。
もちろん自分でも「生きづらいとなー」とは思ってるしもう少し穏やかに生きたいとも思うんだけど、同時にその怒りが事業のエネルギーになっている部分もあるから、なかなか難しい。
YouTubeでも喋ったんですが(あ、YouTubeもよろしくお願いします)
そんな僕の真逆に鎮座するのが妻。
妻は、自分の機嫌は自分で取れるし、置かれた場所でちゃんと幸せを見つけられる人で、「あるものの中で咲く」タイプ。
この違いで、昔はよく言い合いになった。
僕は「もっと社会はよりよく変わるべきやねん」と大阪弁で思っているし、妻は「まず自分の周りを大事にすればいいじゃん」と標準語で考えている。
でもある時、僕が何かに怒って(忘れた)、あとで少し反省していた時に妻がこう言った。
「私はこういう性格だから、そんなことで腹は立てへんし、自分の機嫌は自分で取れるから、自分とその周りの半径5mくらいの人は幸せにできるかなぁとは思う。
だけど、世界は変えられない。
世の中を変えるのはたぶん私みたいなタイプじゃなくて、理不尽や体制に怒り続けられる人で、そのエネルギーを前向きに使える人やと思う。
私にはできへんけど、あんたはそれができる人やと思うけどな?」
この言葉に僕は、かなり救われたというか人生の指針が定まったような気がしたんですよね。
自分の性格を「直さないといけない欠陥」ではなく、「使いどころがある力」として見直せたから。
でも同時にこうも思った。
半径5mを幸せにできる人って実はめちゃくちゃすごくて、世界を変える革命家みたいな人も必要だけど、半径5mを幸せにできる人が増えたら結果的に世界は確実によくなるよなと。
妻は世界を変えられないと言ったけど、妻の半径5mに居れたからこそ僕は幸せで、かつ「海賊王になろう」と思えたわけで(歪曲したポジティブ)

僕たちは子どもの頃から、こう教えられてきた。
自分の機嫌は自分で取れ
置かれた場所で咲きなさい
足るを知れ
全部いい言葉だと思う。
実際それができる人は強いし、周りの空気も明るくなる。
でもある時ふと思った。
これって、誰にとって都合がいい教育なんだろう。
不満を持たず
与えられた場所で頑張り
現状に感謝して生きる
こういう人たちは権力者や資本家(人を使う側)にとって、ものすごく扱いやすい。
反乱を起こさない。
声を上げない。
構造を疑わない。
もちろん陰謀論を言いたいわけじゃないんでゲスよ(語尾どうした)
ただ、「ポジティブに生きよう」という言葉が、結果的に現状維持装置として機能してきた側面がある可能性は、ちゃんと考えてもいいと思っているんですよね。

ここで思うのが、ポジティブの前にもう一つ必要な動作があるんじゃないか・・ということ。
それが「問い直す」という行為。
この論理、本当に正しいのか。
そもそも考えるべき課題はこれでいいのか。
これは前にもnoteで書いたクリティカルシンキングってやつで、「批判」という言葉のせいで誤解されがちだけど、本質は問いを立て直す力だ。
ポジティブは、
出来事をどう解釈するかを考える。
エシカルは、
そもそもその出来事をどう捉えるべきかを問い直す。
順番が違うだけで、たどり着く場所はかなり変わる。
例えばコロナや自然災害をポジティブに解釈すれば
「自分を見直す機会になった」。
エシカルに問い直せば
「なぜこれほどの被害が出たのか」。
前者は自分の話。
後者は世界の話。
この違いは大きいぞよ(もういい)
だから僕が一番しっくりくる組み合わせは、
現実的ポジティブ × エシカル。
現実をちゃんと見て
感情を処理して
自分は対処できると信じる。
その上で、
「でもこの問題の構造はどうなっているのか?」
と世界に問いを投げる。
自分の半径5mを大切にしながら、同時に世界の構造にも目を向ける。
この両方が揃った時に、初めて社会は少しずつでもよりよく変わるんじゃないかと。
エシカルってよく「きれいごと」と言われるけど、きれいごとを貫くって本当に面倒くさいw
この商品は誰かを傷つけてないか。
このビジネスは誰かのコストの上に成立してるんじゃないか。
こういう問いと向き合い続けるのは、楽観的では無理で、ポジティブだけでも足りなくて。
楽観的に
「まあ歯がなくても柔らかいもの食べて生きていこう」と思いながら、
ポジティブに「今日は家にあるスルメを全部ふやかしてみるか」と動き、
エシカルに「なぜ俺の歯は抜け落ちるのだろう?」と問い直す。
この3つが揃った時、はじめて世界は少し動く。

だから僕たちエシカルノーマルのタグラインは、
きれいごとで、きれいにしよう
なんですよね。

商品・サービスがコモデティ化してきたことで、ビジネスには今まで以上に「社会的視点」が必要になってきたんだと感じています。
ハウスクリーニング業界をエシカルがノーマル(普通)な業界に改革しようとしているエシカルノーマル。
FC募集を始めてもうすぐ3年(現在26店舗)、「月に1店の限定募集!」という緩やかな感じで共感いただける仲間を募集しています。
「新しいことに挑戦したい!」
「家族に胸を張れる仕事がしたい!」
「どうせ時間を使うなら、もっと世界を良くする仕事を!」
と考えてるあなたへ、
「ぜひ仲間になってください!」と言いたい。
実際に声に出すわけではないですが、言いたい。
こっちばっかり言うの恥ずかしいのでそっちから早く言ってきてください。
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