最近の趣味はもっぱらAI作曲でして、ヒマさえあれば作詞してプロンプト書いて、作曲はAIに丸投げして、「編曲は自分でやってます」と言わんばかりに何度もプロンプト微調整して、自作曲のプレイリストを聴きながらエドワード・エルガーばりに自転車に乗る・・みたいな生活をしています。
ただ曲名が
「電車ムズイ」
「いやなこどものうた」
「あや洪水」
「パコリーノロマーノ」
「金玉揉んでる時」
みたいなのばっかり(コミックソングではない)なので、あくまで自分で楽しむため。
人さまになんてとても聴かせられない代物なので、ここにプレイリスト貼っておきます。
※スマホだと最新の5曲しか表示されないみたいです
さて、僕もAI使ってめちゃくちゃ仕事してるというよりかは趣味とか相談相手みたいな場面が多いですが、職種によってはそんなこと言ってられないぐらいに「AIに取って代わられる」みたいなことが起こってますよね。
5、6年前までは「AIは芸術は創れない。データから平均取るだけのやつに、創造なんか無理やろ」って言われてましたが、生成AI爆発で一気に風向きが変わりました。

今はあらゆる仕事がAIで超効率化されていく中で、
「これからはブルーワークだ!」とか「AI時代は手に職が強い!」とか、訳知り顔で言う人が増えましたが、
でもこの言葉って半分は当たってるし、半分はかなり危ないとも思っています。
なぜなら、この言葉のまま理解すると「体を使う仕事に戻れば勝てる」という、ただの肉体労働回帰に流れやすいからで、
実際にはそんな単純な話ではなくて、AI時代に価値が上がるのは「ブルーワーク」ではなく、「構造的にズレが起きにくい仕事」だと思っているんですよね。
ちょっといつものエシカルマインドみたいな話じゃなくて恐縮ですが、ハウスクリーニング以外の職業にも全然関係ある話なんで、興味ある方はお付き合いください。
例えばデザイナーの仕事を考えてみると分かりやすいんですが、
デザインって何をやっているかというと、「顧客の頭の中にあるぼんやりしたイメージ」を、何もない白いキャンバスに具現化していく仕事で、この時点でかなり危険な構造をしていると思いませんか?
なぜなら、そのイメージは言語化されていないし、顧客自身も完全には分かっていないし、完成したものを見た瞬間に初めて「なんか違う」と言われる可能性があるからです。
つまりこの仕事は、最初からゴールが曖昧な状態で走り出し、完成した瞬間に評価が確定する。
この構造だと、途中でいくら頑張っても、最後の「なんか違う」で全部ひっくり返ることがあるし、これは努力量ではなく構造の問題で起きていると思うんですよね。
このタイプの仕事は、文脈を読む力がめちゃくちゃ必要になるし、その分ストレスも高いし、今はAIが入ってきて「それっぽい案」を無限に出せるので擦り合わせやすくなったけど、その分単価はめちゃくちゃ下がってきています。
一方で僕たちの業界、ハウスクリーニングは構造が真逆なんですよね。
ハウスクリーニングは何をしているかというと、「ゴチャゴチャついた色(汚れ)を取り除いて、元の状態に近づける仕事」なんです。

白いキャンバスに色を乗せるのではなく、過去にあった「あるべき状態」に戻していく仕事だから、ゴールの認識が共有されやすい。
もちろん新品には戻らないし、経年劣化もあるし限界はあるけど、それでも方向性としては「よりきれいだった状態に戻す」という一点で一致してる。
だからデザインのように「なんか違う」で全崩壊する構造にはなりにくいですよね。
この「ゴールの一致度」が、仕事のストレスと単価の安定性を大きく左右すると考えてます。
AI時代に残る仕事を考えるとき、よく「身体性」とか「現場性」とか言われるけど、実はそれ以上に重要なのが実はこの「ズレの起きにくさ」だと思っているんです。
ここでロボットの話に戻りますが、ルンバは2002年に発売されてから20年以上経っているのに、いまだに「床を掃除するロボット」という役割から大きく外れていません。
もちろん性能は上がっているし、マッピングもできるし、4台買えば町田を車にすることだってできるわけですが、

それでも家庭の掃除全体を任せられる存在にはなっていないですよね。
ルンバは24年経ってもまだルンバ。
この事実はかなり示唆的で、ロボットが苦手なのは「掃除」ではなく言語化しにくい「暗黙知」の共有・再現なので、
「自転車どうやって乗ってる?」
「どうやって人の顔覚えてる?」
は、うまく説明できないけどできてしまう・・みたいにはロボットはできないんでしょうね。
家庭というのは単なる空間ではなく、住人の生活習慣、性格、感情、優先順位、諦め、こだわり、などなど全部が混ざった場所で、そこに現れる汚れは単なる物質ではなく「生活の集積」ですもんね。
AIは一般解は出せるけど、その家の文脈に最適解を現場で即座に出すのはまだ難しい。
ここで一つバランスの話を入れておきます。
文脈を読める仕事が強い、という話はここまでしてきたけど、文脈依存が強すぎる仕事は、それはそれでストレスが高くなるんだろうなと。
デザイナーの例がまさにそれで、顧客の頭の中にあるイメージを読み続ける仕事は、ズレが起きやすく、評価が不安定で、精神的な消耗が大きい。
つまり、
文脈がない仕事は安くなるし、
文脈が強すぎる仕事はしんどい。
この間にある
「文脈は読まないとだけど、ゴールはしっかり共有されている仕事」
が、実は一番バランスがいいと思うんです。
言い換えると
「過程は複雑で暗黙知領域広いけど、結果は共通認識握れてる」
ってことです。

ハウスクリーニングは、まさにここにいます。
ゴールは「きれいにする」で一致しているからズレにくく、でも現場ごとに文脈は違うから、単純作業にはならない。
そして暗黙知を共有しにくい。
この構造、「AI・ロボットに取られにくい」という意味ではかなり強いのでは。
伝わりますかね?
なので結論としては、ハウスクリーニングがAI・ロボットに奪われるかどうかではなく、「どのレベルの清掃をやっているか」で分かれのだと思います。
ただ汚れを落とすだけの作業は、どんどん標準化されるし、比較されるし、安くなる。
一方で、
なぜこの洗剤なのか
なぜこの順番なのか
なぜこの家ではこの方法がいいのか
なぜこれ以上はやらないのか
これを説明できる清掃は、単なる作業から人間がやるべきホスピタリティ溢れるサービスの代表に変わるはず。
逆に説明できないとガンガンAIに取られていく。
AI時代に残るのは、作業ではなくサービスなのだ。
ここでちょっとだけエシカルノーマルの話になるのですが、
僕たちがやっているのは「掃除」ではなく清掃にまつわる「負荷の設計」だと思っています。
人への負荷
ペットへの負荷
水生生物への負荷
環境への負荷
働く人への負荷
これをコントロールしながら、ちゃんと汚れを落とす。
強い洗剤で一発で終わらせるのではなく、汚れの性質と素材と暮らしを見て、最適な方法を選ぶ。
これは文脈を読む仕事でありながら、ゴールは当然「きれいにする」で共有されています。
このポジションは、AI時代にかなり強いと思いませんか?
そしてもう一つ。
これからの時代、個人でハウスクリーニングをやること自体はできるけど、現場以外の負荷が大きすぎると思うんですよ。
集客、発信、口コミ、説明、教育、ブランディング、差別化、その全部を一人でやるのは、さすがに無理がある。
腕は2本なのに、判断は常に十数個同時進行している感じになる。
マルチタスクの勇、タコでも足を止めますよね。

だからFCの価値は、看板ではなく「構造の提供」だと思う。
エシカルノーマルの場合は、ブランドや技術は言うに及ばずですが、
どう説明し
どこで差別化し
誰に選ばれ
どんな感情が動き
どう仕組化するか
まで含めて設計されています。

これは、これからのAI時代においてはかなりアドバンテージなんです(自画自賛)
ハウスクリーニングはAIに奪われない仕事か?
答えは、単純ではありません。
でも一つ言えるのは、
AIに奪われない職業を探すより、
どの業界にあってもAIが苦手とする領域があり、そこを自分が担うこと価値が最大化する仕事を探す方が健全だし、今までの努力経験が無駄にならないんだと思います。
ハウスクリーニングはその条件をいくつか満たしているし、エシカルノーマルはその中でも「意味」を乗せている側にいる。
だから僕たちの仕事は「残る仕事」どころではなく、これからの時代にあってますます価値が上がり続ける仕事だと、胸を張って言えるんですよね。

商品・サービスがコモデティ化してきたことで、ビジネスには今まで以上に「社会的視点」が必要になってきたんだと感じています。
ハウスクリーニング業界をエシカルがノーマル(普通)な業界に改革しようとしているエシカルノーマル。
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こっちばっかり言うの恥ずかしいのでそっちから早く言ってきてください。
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